2016年1月7日木曜日

たまんねえ





くるくるに包まって車の中に7時間ほど滞留していた本日の私。


ちらと窓の外を見てみると、主婦同士の立ち話が始まってそれに退屈をした女の子が、鼻を窓ガラスに擦り付けんばかりにぐんぐんに近づいてこちらの様子を伺っていた。


あはは、と微笑み掛けると少女はまるで幽霊と目が合ってしまったというような顔をして親の元へ戻っていった。


こらこら、誰が幽霊や。

と、いつもの僕ならそう言って子供と仲良く戯れるのであるが、今日の僕はどういうことだろう。


そんな邪気の無い少女を前にしても、ふーーーん、と、車内から冷視線を浴びせるだけである。


なーるほど。いわゆるこれが正月呆けというやつかー。


って自分で納得がいってもなんの気力も起こらず。無気力。


いかに無気力かは灰皿に溜まってあるタバコの本数を見ればわかる。



本当に、お金は使うのは簡単だが稼ぐのは大変です。



沢口  裕

2016年1月5日火曜日



儘 [ ま ま ]

①その状態に変化のないこと。それと同じ状態。「昔の―」「現状の―」「立った―の姿勢」
②(多く「ままになる」の形で用いる)思い通りの状態。自由。「意の―になる」「こう物価高だと買物も―にならない」
③成り行きにまかせること。古くは「…ともままよ」「…とままよ」などの形で用いられることが多い。「成すが―」













2年間くらい  この画像を

iPhoneの壁紙にしています

好きな箇所が沢山あります

色も服も影も指も





中でも

この不安定なバランスが

そそられます

不安定だけど

落ち着いてて

気持ちもよさそうな

ギリギリのバランス



-



人は自分でバランスを

とっています

人からは不安定にみえても

それがちょうど心地よかったり

微修正したり

そのバランスに飽きたら

大きく変更してみたり










「変わりたい」

って

人に相談したら

「自分に飽きてないんやろう」

って言われました

変わるには

今の自分に飽きることが

手っ取り早いデス

まだ飽きてなかったら

そのままでいい

抱えたままでいい






どうひろこ





ワタクシハ
そろりそろりと
変化します
変化しなければならない
変化する必要があるでしょう?



ミルクとシロップを入れて





カフェで飲むコーヒーは格別です。
宿酔のムカつきもさらりと溶け出して脳内のもやもやもスッキリするのは誠に不思議だなあ、と感慨深くなるのです。
そうして物思いに耽って一体なにを考えてるん?と隣のオバハンがおれを凝視している。
なに見とるんじゃ、ごるあ。と白目で睨みを利かせるとオバハンはカプチーノを口から吹き出し、地団駄を踏んで帰ってった。
そしてまた愉悦に浸って一人にやにやしている。

昨晩が楽しかったのである。ああ、楽しかった。なにがどう楽しかったかなんて、僕の技量では書き記せないけれど、いわゆる筆舌に尽くしがたいという表現でも敢えて使ってみようか、ともかく楽しかったのである。
あまりの楽しさにブログのことがドタマから吹っ飛ぶぐらいである。

その代償が先程まで私を苦しめていた宿酔ではあるのだが、まぁそれも致し方ないであろう。年齢と共に苦しみの具合は増していってるような気もするが。

字面ばっかり飾ってこんなに中身のないブログを書いてみるのもたまには悪くないかもしれないなぁ、ってカフェの店員さんに耳打ちしたら、帰れ、馬鹿野郎、豚野郎、って言われた。時給9.000円ぐらい貰ってるのかな?と思ってしまうぐらい高尚な態度で。


沢口  裕

2016年1月3日日曜日

2日分






旅は道連れ。目を覚ましたのは夕まずめ。狭い車内で唐変木のように倒れていた僕は昨日の記憶がほとんど無かった。
あれ?相方のPLFは?と見渡してもいない。あんれー?とりあえず今ここは岡山だよね?って一人二日酔いのムカつきと気持ち悪さでうんうん唸っていたら電話が鳴った。

「はい」と僕。
「あ、ユウ?わりーんだけどさ、ちょっと迎えに来て欲しいんだよね」と掠れた声のPLFは言った。
一体どこにおるのだ。一先ずメールで送られてきた住所に向かうことにした僕の目は真っ赤に充血していた。




「目的地に到着しました」とカーナビが断言するので、ならここで間違いないだろうと辺りを睥睨した。周りには民家など無く、畑やなにやら工場機械などを保管しておく倉庫などが点在しているようなところで、非常に閑散としている。
何故にこんなとこへ呼び出すのだ、と車内で待機していると、現れたPLFさん。
顔はげっそりしていて、至る所に醤油やソースの跡と思しきシミが付着している。
やあ、と挨拶はほどほどに、一体、昨晩はなにがあったのか、と二人で記憶の照らし合わせを行ったところ、どうやら二人の間の酒量が一定程度を超えてしまい、双方ともに記憶が消し飛んでしまっていた。
とにかく二人の荷物の無事だけでも確認して、紛失物はないな、あはは、よかったなあ、と脳天気にしていると、大事なことを思い出した。

「林檎売り、どうするよ」
ぼそっと口にしたらPLFさんの表情が苦痛に歪み、噛み潰した苦虫が歯に挟まって取れないといった顔をした。

「だよなあ」といって僕は帰りの道順を調べて下道で帰ることにした。今はその車内。



謝罪

元旦のブログにて「毎日ブログを書くぞーo(`ω´ )o」と断言していたにも関わらず早速昨日飛ばしてしまいました。これはよくないですね。先が思いやられますね。気をつけます。一生懸命生きていきますので。暖かく見守って下さい。

無知





安土城はどこぞ、って散々街を探し回った結句、どこにも見当たらないというのは不自然だ。城の神隠しかしらん。と、今日の相棒であるPLFと小首を傾げ、ああそうだ。インターネットで検索してみようと考え至ったのは
正午のこと。
出てきた結果を見て我々は驚いた。
安土城は滋賀県にあるのである。
なんてこったい。我々の努力は水泡に帰したのだ。
ってお前達は一体どこを探し回ったのだとお思いになられる方がいらっしゃるでしょう。
私達は本日から正月の願掛けも兼ねて、いわゆる旅売り、遠方へ足を伸ばして林檎を売りまくるというプロジェクトを敢行しているのだ。
で、場所は岡山。その岡山の地に安土城が存在すると固く信じていた私達は猿にもキジにもなれぬ。がんばって林檎売ろう。

2016年1月1日金曜日

1日目




時間の流れを早く感じているのは、なにも私達のようなおっさん連中だけには留まらないようである。

以前、電車の中で小学三年生の男子がこんな会話をしていたのを聞いた。


「なぁあっちゃん。おれは思うんだ」
小太りの少年がおもむろに言った。

「なんだよ、どうしたんだよ」
あっちゃんは車内広告を隅から隅まで見渡しながら気のない返事をした。

「俺たちって来年で小学4年生じゃん?てことはだよ、俺たちが小学校に入学してからもう4年も経つってことだよ。それって凄くね?」

「すごくね?ってなにが?至極当然の事じゃん。水の低きに就く如し極めて当たり前の事じゃん」そういってあっちゃん、今度はスマートフォンを取り出してこれを操作している。

「いや、それはそうなんだけど、おれが言いたいのは、時間、早くない?ってこと。この三年間あっというまだったなってこと」

「ああ。確かにそれはちょっとあるかも。こないだも親父が、「お前が産まれてもう10年かあ、早いなあ。おれももう四十かあ」なんつって泣きながらルームランナーで爆走してたよ」

「おいおい、泣きながら爆走かよ、お前んちの親父やばいな」

「だろ?」
「だな」
「だべ」
「だがや」
「だぎゃー」
「俳句でもはじめません?」


と言って二人は笑い死にするのではないかと思うぐらい笑いに笑った。場の空気に合わせて笑ってる、という感じではなく、二人とも真剣に笑っていた。

おれは、はぁ、子供って苦手やわぁ。と内心で思いながら件の会話を頭の中で反芻させた。

おれが奴らと同じ身分の頃、時間というものはとてつもなく長く感じられるものであり、ともすれば小学校を卒業するころにおれは憔悴しきってしまい、中等学校ではもうすっかり枯れ果てて、習うものも習えない状態に陥っているのではないだろうか、などと行く先の危惧感が否めなかったりしていた。

それをば、今日日のチルドレンときたら既に、時間の早さ、早さ故の儚さ、などをそれなりに感じ始めて、これに陶酔して俳句などを始めようとしているのである。

子供はお外で遊ぶものである。

なんてことを言いたいのではなく、なにをするにも初めてづくしの子供というものは当然、既視感というものが皆無なのであり、毎日、毎時間が緊張感の塊であるのだから、その分時間の濃度は増すのであって、昔の私のように時間の経過が遅く感じるのが自然なんじゃないか、と私なんかは思っている。


そんな初めて尽くしの子供までが、時間を早く感じるということは、これはもう感じ方の問題ではなく、実際的に時間というものは少しづつ早まっていっているのではないか。


時間、なんていうものは所詮、人間が作り出した一つの目安にしかすぎず、「今何時?ええ、もうそんな時間?やばいよ、やばい。早く帰らないとカミさんにどやされる。では私はこれで失敬」と言って終電を気にする雄ライオンなどどこのサバンナにいるだろうか。

人間が決めた時間の概念なんて本当は凄く不確かで、絶対的な真実ではないのである。怖ろしいのである。


ということで、時間が明らかに早まっているというのであれば、人生というものも当然短くなるのであり、これまでよりもより一層毎日を緻密に、大事に生きて行かなければならぬなあ、と思い、今年からは毎日、もう本当毎日、このブログに一言でも残していこうと決起した。

大変だろうなぁ。面倒臭いだろうなぁ。などと思っている時間が勿体無い。2016年という一つの目安の中で、私は私の出来ることを少しでも行動に移していこうと思ったんだ。と、思ったんだ。子供達に感謝。明るい未来。サボテンの花。灯台元暗し。


あけましておめでとう御座います。今年もムカイの林檎をどうぞご贔屓に。



沢口  裕