2016年2月21日日曜日

北国放浪記





「雪国」を書いた川端康成、「細雪」の谷崎潤一郎、等、純白の雪が地面に覆い尽くす様を見て文士脳をそそられた文豪も少なくない。



私は、まぁ各作品の書評などはおこがましくてできるはずもないが、これまではそういった名作、名文を前にして「雪ねえ。そんなに大したものなのかねえ」と皮肉たらしく、そしてニヒルたらしく、尚且つアヒル口の形相で、これらを悲観して生きていた。


そして、そういった気持ちに向後も変化を及ばす事はない。きっと無い。

と自分でも半ば確信をしていた。そんな日々が過ぎていった。








行商脳を養う為には自然と向き合う事がやはり肝要である。


というのは私が日頃からお布団の中で考えていた考えである。

だってそうだろう。行商の中でも林檎、という真っ赤な果実を取り扱っているのだから、林檎と接するも人と接するも自然であらないとあかん。

もちろん、日頃から天真爛漫な私は屈託の無い笑顔で人にも林檎にも接しているつもりではあるが、そこはやはり都会暮らし。そんな私の純真無垢な心をどやどやと汚すもの多数、僕は「聖人君子ではないのだからあ」といってポテトチップスの袋を開けるのに四苦八苦したりするのである。



そんな日々に憔悴しきった私は、このままではいけない、早く自然と触れ合い、心を洗い流さねば、と思い、友人、というか親友、親友、というか戦友、戦友、というかマブダチ、マブダチ、というか母親、母親というかペット、ペット、というか知り合い、であるベト子を誘い、自然といえばそう、北の大地、北海道へ行くことになったのである。



続く

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