2015年7月17日金曜日

求人


「ああ暑。あっつっつ。暑ー。なに考えとるんじゃ。なにが楽しいからこない暑くなるんじゃ。ええ加減にさらせよ。
それにこの湿度。誰が喜ぶんじゃ。誰がための湿度じゃ。もっとカラッとせえカラッと。唐草次郎とはわいのことじゃ。どアホ。」
「ちょっとあんた。さっきからなにを訳のわからんことをぶつぶつ言うてはりますのん」
「なにをって決まっとるやろ。夏や。夏のあほんだらによう言うて聞かさんとこいつらどんどん増長していく一方でしまいには世界を滅亡の危機に陥れかねへんよってに。わいがそれを未然に防ごうとこうしてぶつぶついうたっとるんや」
「そないな大仰なこというてはりますけど、あんたになんか関係あります?」
「関係あります?て。おもろいこと吐かす女になりおったの、おどれは。こうして大地に生命を授かって人生を全うしている以上、わいにもいう権利っちゅうもんがあるんとちゃうんけ」
「いえいえ、そういうこというてるんちゃいます。あんたはもうずっとこの冷房の効いた部屋で涼みながら冷麦と塩オニギリを食べてはごろごろするという毎日を送ってはりますやないの」
「あ。まぁそういわれたらそれもそうやの。しかしお前。よう考えてみたらここ数日、素麺と塩オニギリしか出てこなんだけど、一体どないしたんだ。ええ加減わいも飽いてきよったわ」
「それはあんたが働かんからもう家には他の食料を買って置いとくほど金銭の余裕はございませんの」
「え。そうなの?それはちと困ったなあ。そんならそうと早く言うてくれたらよかったのに」
「言うてますわ。でんもあんたはいつだって聞く耳を持たずに「おれはこれからの男や」などと戯言を言うておしまいですやんか」
「うぬぬ。戯言とか言われたらなんか腹立つ。しかしお前も知っとるやろ。今、世の中は腐っとる。まともな働き口なぞ存在せんにや。わいはその気になったらどこでもいけるど。けどそれをしてしまうとわいの人格やらなんやらがいっぺんに否定されてもうてこれから待ち受けている明るい未来、すなわち芸術や表現という常人離れした世界での立身出世が非常に見えづらくなる、という危険性をわしは鑑みて」
「もうよろしい。そないなこというてたらあんたは一生素麺と塩オニギリの人生ですわ。なにが芸術。なにが表現。実際に部屋にいながらそないな創作活動をしているところは私はただの一度も拝見したことはありません」
「せやからそれはこれからやな」
「これからこれからいうてあんたはそれしか言えまへんのか。もうよろしい。ちゃっちゃとどこでもいいから働いておくんなまし。お願いしますよってに」
「そないなこと言われたかて…」
  沈黙が、静寂が、二人を包んだ。男は、あかん、ちょっと意固地なりすぎたかな、と思った。出ていかれたらどないしよ、とも思った。
  すると女が言った。
「あんた、林檎屋にでも行ってみたらどないです?」
「なに、林檎屋?なんやそれ」
「林檎を売り歩く仕事どす」
「ほっほーー。そないな仕事があんのけ。そんならなんか聞きなれへんしなんちゅうたらちょっと破天荒感も感じられるし良さそうやないけ。林檎屋か。よしゃ。じゃあ決めた。わいは林檎屋や。今からわいは林檎屋や。林檎売りまくってお前のこと楽にしたる。欲しいもんなんでも買うたる。なんやなにが欲しい。服か宝石か電子レンジか。なんや」
「もう。あんたはほんまに早計やからあかん。まずは面接いうもんがございまっしゃろ」
「面接?ほ。それもそやな。よしゃ。ほたら明日面接に行く。でも明後日から働くのは急やし、仕事が決まった安心感と優越感に浸りながら一日酒でも飲んでゆっくり過ごしたいから、しあさってから働きだす。ほいたら完璧やろ。わいらの人生は明るいやろ」
「ちゃんと朝起きてくらはいね」
「じゃかあしい。こないだかてお前が起こさんから寝坊してクビなってもうたんやないけ」
「いえいえ。起こしましたわ。体を揺すぶって」
「あほ。どこの誰が体揺すぶられるだけで目覚める?揺り籠ちゅうもんがあるやろ。あれはゆらゆら揺れる心地よさでより深い眠りに付けるちゅう原理や。だからお前がした行為は逆の行為っちゅうこっちゃやで」
「なにいうてはりますの。こないだあんたが「朝がきたら私の体に熱湯を浴びせかけてくれろ」というのでそのとおりにしたやない。そしたらあんたは怒って私を二発殴ったわ。だから前回は、体を揺すぶる、という行為だけに留めたのよ」
「うるさい。昔のことをいつまでもうだうだ吐かすな。わいは今上機嫌なんや。活力がみなぎってきとるんや。やる気に満ち満ちとるんや。お前。見とけよ。わいはやるで。しあさってから頑張るで。そうと決まったら早速宴ぞ。さぁ。酒を出しとくれ」
「もう、まだ決まったわけやないのに。ほんまこの人は。阿呆やわぁ」
  女は溜息をつきながら腰を上げ、着物の帯を直しながら台所へ酒を取りに行った。
  言葉とは裏腹にその足取りはどこか軽快で、少しばかり唇の端があがっていた。


こんなやつが来たらおもろいなー。


   ムカイ林檎店・永遠の新人
                                    沢口   裕

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