2017年3月26日日曜日

悪態





現実的な話、人というのは人として生まれた以上、やはり労働というものを欠かせてはいけないものであり、これを怠る人は飯を食えない。

例え食えたとしても、食っているその人の周りにいる労働意欲まんまんの人達はそれを見ながらどこか納得がいかない。だからせっかくの食事が美味しくなくなる。

なぜ人々は納得がいかないのかというと、それは幼い学童のころから「働かざる者食うべからず」といって担任のセンコーとか叔父とか近所のおばはんなどからきつく教えられてきたからである。

その教えに逆らう者、すなわち反逆者、無法者の無労働の人間を目の当たりにするとそりゃあ普通の人は怒るわな。怒髪天を衝くわな。


ついこないだ、時代のテクノロジーを学ぶべく一念発起、学業の道を選択した私に祖母がこう言った。
「お前は三十も過ぎて学校とな。あは。片腹痛し。言語道断。金も持たぬ者が何を言う。まず己の生活を自立させてから吐かすがよい」
そういってあっつあつのおじやを供してくれたのだけど、その目はマジだった。

八十を目前にする祖母のいい伝など誰が守るものか。馬鹿馬鹿しい。

そう思った私は激しく気分を害し、「もういいですわ!」といって雪踏をつっかけ、夜の街へ放蕩に出掛けた。のだけど、放蕩しようにも放蕩費が無い。


だから私は春前の寒々とした夜の石橋を一人放浪した。


わっはー。放浪はいいや。金が掛からない。放浪費はいらない。みんな放浪すればいいのに。忙しいというのは罪ですぜ。





0 件のコメント:

コメントを投稿