2017年4月9日日曜日

朝が無い







やるなら今しかねえ。ああ。ほんまにそうや。やるなら今しかないんや。
やらな。はよやらな。さあやろ。すぐやろ。今やろ。やって、やったことへの満足感を肴に一杯やろ。ええな。労働の後の一杯。それこそが真の美酒。あ。それやったらまず先に一杯やってからやろかな。そっちのほうがおれ自身の本来の調子も出てより勢いづくっていうか、興に乗るっていうか。そうや、あすこの河岸なら早い内に開けとるし、そうしよ。


といって呑みだした一杯。この「一杯」というのは、「一つ」とか「一個」とかそういった意味の「一杯」ではなく、沢山、ぎょうさん、という意味での「一杯」である。
彼はしこたまに呑み、且つ食らった。
酩酊状態に陥り、意識がハンボラケになってきたところで気がつくと朝になっていた。

「あれ?おれは昨日という日をどないしたんやっけ?あれ?今、この朝は今日の朝か?ほな昨日は?昨日の朝と夜は?あれ?はあ?どがっしゃ。どがっしゃどがっしゃ。」

男は暦から昨日という一日を丸ごとさっぱり何者かに消し去られたような気持ちになって不快になった。
ただでさえ散らかっていた部屋がさらに汚くなっている。それも不快だった。
物を持たぬ者の部屋がなぜにこうも激しく散乱することがあるのだろうか。
部屋に散乱しているものは男の持ち物など極微小で、主に酒の入っていた空き缶や空き瓶などがほとんどなのである。

それでもたまには片付ける。
部屋の汚れが心の陰鬱に繋がるのだ、といってから片付けを始める。
そういう時の男の執念というか、執着は常人の男に対する想像を遥かに超えている。おおよそ潔癖であったり、神経質などという性質とは遠く掛け離れている愚かな男でも、一度片付けを始めると、脇目をふらず、小気味よい鼻唄などを歌いながらするする片付けていく。
そして片付いた部屋を仁王立ちで見渡し、彼はこう思う。
「もう二度と、汚さんようにしよ」

しかし男の決意はほんの一日や二日で薄らぎ、彼曰く、住人の心を映し出すという居住空間は彼の心と同様、陰惨で下劣な様子へと変わっていくのだ。
変わっていく、というより、元に戻る、というのが妥当かもしれない。

男は昨日の酒に翻弄されたままこう思った。
「あかん。あかん。あかん。今日こそやらなあかん。やるなら今しかなんや」
そうして男は握り潰されてへしゃげている空き缶を一つずつごみ袋に放り込んでいった。




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