2015年8月21日金曜日

無色透明

彼岸花が嫌いだと言った。すると、
「私は好きです。花びらの一筋一筋がまるでリボンのようで、とても可愛らしいじゃありませんか」という。
それを聞いて、おろろ、確かに、そういわれてみれば確かにそうや。悪ない。よう見たら、ようわからんが、なんか素敵に見えてきたわ。と思った。
また、「やっぱり餃子より焼売やな」というと、「いいえ。私は餃子です。犬より猫です。太陽より月。愛より恋です」などと言われて、えっらい強情な女子やのお、と一瞬は嫌気がさしたりもしたが、言われたことをあとになって考えてみると、いずれも、「確かにそうかもしらん」と思わせるフシがあったりするのである。

私はそんな自分が酷く醜く思えることがある。
だってそうやん。
人の考えに同意し、共感を示すということは、決して悪いことではないのだが、度を越すと、それはすなわち自分の考えが無い、みたいな感じがするし、自分の考えが無い、ということは、これすなわち人間として軽薄なのであり、行き詰まるところ、個性の欠落、なんてことにも繋がってくるわけで、ちょっと洞察力のある人なら、「こいつ、さっきからなに同意ばっかし腐っとんじゃ。舐めとったら承知せんど。クソんだら」といって僕を5.6発殴る、ということにもなりかねないのである。

殴られたくない私は、人の意見に対する同意の一切を禁止した。

「これは林檎酢ですか?」と聞かれても、
「いいえ。それは林檎スパゲッティです」と返し、
「暑いですね」と同意を促されても、
「いいえ。どちらかというと猛烈に寒いです」などと答えた。
甚だしきは、帽子に「Police」と刻印された男性に突如呼び止められ、「今の、赤信号でしたよね」といわれたときも、「いいえ。断固として青信号です」と言った。
すると、私の想像では、「こいつは、なんて自分の思考、思想、思念を確立させた立派なメンズなのだ。飴ちゃんでもあげよう」となる予定だったのだが、さにあらず、私は生まれた時代を誤ったのであろうか。その男性は私に飴ちゃんを献上するはおろか、交通規則を乱した罰だ、とかなんとか理由をつけて、9.000円支払え、などと言ってきたのである。
もちろん私は自分自身に鉄則のルールを約束した男であるから、これに同意しては男が下がる、「絶対に払いま千円」というと、その場で取り押さえられ、身柄を拘束、薄暗い、格子が張り巡らされた部屋へ連行されてしまったのだ。

一体なにが正解かとんとわからなくなった。
いずれにせよ、家には私の帰りを待つ者もいる。
俺は半ば自暴自棄の様子で、愛する人に「https://youtu.be/hSS5anpd8yc」と、手紙を送った。

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