2016年1月11日月曜日

林檎転生日記 2



友人は言った。


「名言なんてものは不確かだよ。だってそうだろ?あんなものは社会的にフィーチャーされている人間がある程度の美辞麗句を並べ立てればそれだけで金言として取り沙汰されるんだから。例えば有名な名言で、「にんげんだもの」って言葉があるだろ?あれなんて君、僕なんかはどってことない、ほんの一文にしか見えないのだ。「え、だからなに?そうだよ?それがどうかした?」って感じしか受けないのだ。あんな稚拙な戯言に一々感銘を受けている品性の乏しい人間とは、ぼかぁ混じり合いたくないね。君はそうは思わないか?なんだってさっきから黙ってにやにや笑ってばかりいるんだ。真剣に話を聞きたまえ。
まぁ兎にも角にも、僕は思うんだ。例えば、その、にんげんだもの、っていういわゆる名言も、先に僕みたいな不良の人間が発言したところで、誰も意に介さず、いよいよ本当に、「は?だからなんだよ?知ってっけど?声を大にしてそんなこと言って一体なんなの?ぶっ飛ばそうかなこいつ」といって僕のことを集団折檻する輩が現れてもおかしくないのだ。言っている意味合いは同じなのにね。あはは。馬鹿げてる。口惜しい。あ、母さん、お調子をもう一本付けてくれ給え」


そういって彼は鯵のフライと飯蛸の酢漬けをアテにして朝まで飲み食らった。よほど嫌なことでもあったらしい。


私は家に帰って、わかめの味噌汁と白飯を平らげ、アッツアツのシャワーを浴びた。風呂から出て就寝前の珈琲を煎れ、そして翌日の行商の支度をして床に就いた。


さあいざ眠りの世界へ、と目を閉じると、彼の言葉が頭の中でぐるぐると回って中々眠れず、苦しい思いをした。



だってそらそうだろう。

名言なんてものは、その人の人格とか功績が認知されているからこそ、その人物の発する言葉に重みが増すのであり、ろくに努力もせず、家でテレビばっかり見て過ごしてきた奴が「夜明けは近いぜよ」とかいったところでその言葉に重みなどは皆無なのだ。それこそ、だからなに?なのだ。


しかし彼はその辺を理解せず、それを口惜しいといって、言っている意味合いは同じなのにね、と言った。


私はそこら辺の意味合いを履き違えている彼に口惜しい思いをして、眠りの浅いトンネルを抜けると朝だった。眩暈がした。



沢口  裕

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