2016年1月21日木曜日

林檎転生日記 7




「あっ」


と呟いた僕は筆を止めて天を仰いだ。天、といってもそこは部屋のヤニ焦げた天井だった。


なにが犬の逆立ちであろうか。なにが宮沢りえだろうか。


こんなものは私小説でも小説でも詩でも俳句でもなんでもなく、ただの散文、頭の中に浮かんだ言葉を脳味噌というフィルテーを通さず、ただそのまま垂れ流しているだけのクズ文にしか過ぎないのである。


困った。非常に困った。林檎屋に来てから一番困った。私は林檎行商で日々経験している出来事や考えたことなどを忠実に、かつダイナミックに文に起こし、世間をひっくり返すくらいの名作を書き上げたいと思っているのだ。だから困った。

私は太宰治にはなれないのか。同じくらいの自己愛と自意識を持ったところで、太宰治は文豪、おれはただのちんちくりんの薄ら馬鹿、といういわゆる月とスッポン、みたいな具合にしかならないのか。


しかし私は諦めない。諦めないから次の手を考察した。



そして思った。



やはり真似事ばかりでは駄目なようである。

本人の文章、口癖、立ち居振る舞い、服装、生活のしかたなどを真似たところで、結局太宰治は太宰治であり、横山やすしは横山やすしであり、勝新太郎は勝新太郎であり、おれはおれなのである。誰も、誰にもなれないのである。



しかし太宰治は私の敬愛するおっさんである。


なれないのならいっそ身体に太宰治の顔写真でも刺繍したろかな、などと半ばヤケッパチな思考が閃いたが刺繍ともなると痛みを伴い、それ相当の金銭も掛かるだろうて、止めにした。


じゃあどうしよ、なんかしないと気がすまんなぁ、と、何故か居ても立っても居られない衝動が沸き起こり、また私は「あっ」と言ってみた。



私の相棒に刺繍してもうたれ、と思ったのである。


続く

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